「中原中也の会」会報 寄稿
「汚れっちまった悲しみ」とは何だろうか?
悲しみが汚れるとはどういうことだろうか、私にはどうしてもわからない。無論、詩の価値はわかるわからないではなく、感じる感じないにあるとも考える。だから、わからなくても「感じれば」それでよいと思うのが、ならばなぜ感じるのか、その「正体」を私は突き止めたいと思わずにはいらない。
その正体の一つは「汚れてしまった」ではなく、「汚れっちまった」という軽やかな口調のリフレインにあると思う。このフレーズが8回も繰り返され、耳に心地よく響く点にあるのではないだろうか。ではそもそも「汚れっちまった悲しみ」とはいったい何ぞやと考えると、やはりわからない。
そこで、ある手法をもって考えてみることにした。それは詩人の実体験と詩は不可分とする考察の手法である。私は詩に限らず、作者と文芸作品は「別物」であるという論者である。なぜなら、この考察を極論すれば、歴史・時代小説は誰も書けず、殺人を書いた小説の著者は殺人者でなければならないからである。だから文芸作品はすべて「想像」から生み出されていると考えるが、とは言え、作者の実体験が「創造」の基盤になっていることは、創作者の一人である私としても異論はない。
中也の悲しみの一つは同棲していた長谷川泰子が小林秀雄のもとへ奔(はし)ったことであろう。しかし、中也は泰子の荷物をリヤカーに積み、小林のもとまで泰子と共に送り届けたそうだ。さらに泰子が小林以外の男性と結婚し、子どもが生まれた際はその赤ん坊の名付け親になったそうだ。これらは、どういう「神経」からなのだろうか。私は理解に苦しむ。もしかしたら、中也は泰子が自分を「見限った」、換言すれば「捨てた」ことを、認めたくなかったのだろうか。悲しい事実を、事実としてありのままに受け入れようとせず、事実を自分の都合のいいように解釈し、行動する。しかしその思いや行動を頭の片隅では「これは事実でない」と理解している。それが悲しみを「汚した」行為だと、中也は表現したかったのかもしれない。
そんなことを恋愛小説に書きながら、私は考えた。昭和の終わりから平成にかけて、お互いに中也の大ファンと知らずに、二人とも銀行員の男と女が出会ったらどうなるか。舞台は島根県の津和野である。二人を結び付けたのは「サーカス」「汚れっちまった悲しみに」「生い立ちの歌」の三篇だが、これ以外にも十一篇の詩の一部または全部が拙著「こんやここでのひとさかり」には登場し、二人の行動に影響を与える。
その中で最も私の心を捉えて離さないのが「細心」である。この詩は拙著では大きな意味を持つが、中也記念館では紹介されず、あまり有名ではないと思うので、全文を引用する。
「傍若無人な、そなたの美しい振舞いを/その手を、まるで男の方を見ない眼を/わたしがどんなに尊重したかは//わたしはまるで俯(うつ)向いて/そなたを一と目も見なかったけれど/そなたは豹にして鹿/鹿にして豹に似ていた//野卑な男達はそなたを堅い木材と感じ/節度の他に何も知らぬ男達はそなたを護謨(ゴム)と感じていた//されば私は差上げる/どうせ此の世で報われないだろうそなたの美のために/白の手套(てぶくろ)とオリーブ色のジャケッツとを/私が死んだ時、私の抽出(ひきだし)からお取りください」